働きアリの流儀

日本、タイ、米国の企業で働く3人組が日々の気づきを綴っています

自由という言葉について考えてみる

こんにちは。今回は「自由」という言葉について考えてみようと思います。突然ですが、皆さんは「Freedom」と「Liberty」の違いを説明できるでしょうか?どちらも日本語では「自由」と訳すので、一見難しく感じるかもしれません。

FreedomとLibertyの違い

しかし、英語圏ではこの2つの単語には明確な意味の違いがあり、ウィズダム英和辞典(第3版)には、次のように記されています。

  • Freedom:誰からも妨害されずに個人の意向に従って行動する自由(the power or right to do or say what you want without anyone stopping you)
  • Liberty:拘束や幽閉などからの自由、許可や権限にとらわれない自由(freedom to live as you choose without too many limits from government or authority)

つまり、Freedomには、「当たり前に与えられて享受できる自由」というニュアンスがある一方で、Libertyには、「束縛などの抑制されている状態から掴み取った自由」というニュアンスがあるのです。

米国のニューヨークにある「自由の女神」が「Statue of Liberty」と呼ばれているのは、米国は欧米から飢饉や宗教迫害によって逃れてきた移民によって作られた人工的な国家であり、彼らは抑制されていた状態から自らの自由や権利を勝ち取ったということを考えると納得のいく名称のようにも感じます。

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自由の女神(Statue of Liberty)

日本における自由の考え方

では、なぜ日本語ではこの2つの単語を同じ「自由」という言葉にまとめられているのでしょうか?日本語の「自由」は、福沢諭吉が「Freedom」を「自らをもって由となす」と訳したのが始まりだと言われています。(所説あり)

すなわち、日本語における自由とは、自分の考えや意思を行動の由(理由)とするということで、積極的な自由(主体が自らの必然に従って決定)、つまりFreedomにより意味が近いと考えられます。ここで、考えたいのは、日本人には、Libertyとしての自由、つまり何かによって制約や抑制を受けた状態からの自由という感覚が乏しいのではないかということです。

かつてから日本は、他の国や地域に比べて比較的恵まれており、(第二次世界大戦後のGHQによる間接統治を除いては)侵略や占領という歴史がない国です。だからこそ、本来あるべき自由を奪い返すというようなアグレッシブな意味での自由の感覚が少ないのではないかと感じます。

Black Lives Matterの背後にある米国人の思想

2020年、米国を中心とした海外では、BLM(Black Lives Matter)と呼ばれる人種差別抗議運動が怒りました。これは、アフリカ系アメリカ人に対する白人警察の残虐行為(ジョージ・フロイド)をきっかけとしていますが、その根本にあるのは、アフリカ系アメリカ人(黒人)や彼らを支援する人たちが、黒人が当たり前に持つべき権利(差別におびえることなく安心して暮らせる状態や、仕事や住居の選択に人種による制限がない状態)を奪い返す自由(Liberty)を巡る争いであるということです。

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Black Lives Matter

多くの日本人にとって、このBLMがどこか異質のように感じるのは、Libertyとしての自由の感覚があまりないからかもしれません。アイルランドの劇作家であるGeorge Bernard Shawは、このような言葉を残しています。

自由と責任

Liberty means responsibility. That is why most men dread it.”(自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。)

バーナード・ショーが言うように、自由というのは、表面だけ見れば美しい意味ですが、その自由を行使したり掴み取るには、大きな責任を伴うことを私たちは忘れてはいけないと思います。そして、その責任をもってでも、勇気をもって自由をつかみ取る貪欲な姿勢を大切にしていきたいところです。

 

つねなり