好奇心をもって人とつながろう
皆さんこんにちは。今日は「人とのつながり」をテーマに話したいと思います。コロナ禍での自粛生活の中で、人とのつながりをより大切に感じる人が増えたのではないでしょうか?
人とのつながることは、その人の幸福度やWell-beingに直結するだけでなく、仕事や私生活において新しいものを生み出したり見つけたりするうえでも非常に重要な役割を果たします。そこで今回は、人とのつながりに関する3つの法則を紹介しながら、私たちの仕事や生活をより豊かにする方法について見ていきたいと思います。
1.六次の隔たり(Six Degree of Separation)
この理論は、友達の友達のようなつながりをたどっていくと、5人を仲介する(6段階の関係)で世界中のあらゆる人とのつながりを見出すことができるという考えです。これは、米国の社会心理学者のStanley Milgram氏が1967年に行ったスモールワールド実験に由来するものです。
これは偶然なのか分からないのですが、この論文が発表される少し前の1964年に、ニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーがユニセフのために制作したアトラクションの名前が、it’s a small worldです。東京ディズニーランドにもあるこのアトラクションには、「人種や国籍に関係なく、子ども同士のように平和に、狭くつながっている世界」というメッセージがあるそうです。
確かに5人を仲介するだけで世界中の誰とでもつながれてしまうのであれば、お互いに争い合うのではなく、よりお互いを身近に感じて仲良くできないかと考えてしまいます。
2.弱い結びつきの強さ(Strength of Weak Ties)
2つ目のこの理論は、価値ある情報の伝達やイノベーションの伝播においては、強いネットワーク(例:家族や親友、同じ職場の仲間)よりも、弱いネットワーク(例:ちょっとした知り合いや知人の知人)の方が重要であるという考えです。下図を見ると分かるように、右側の弱い結びつきの方が情報伝達ルートに無駄がなく、また遠くに伸びやすいので様々な知見・情報が遠くから入ってくることになります。
できるだけ遠くの人や情報につながることで多様な知見や考えに触れることは、新しいものを生み出すためには不可欠です。ビジネスの世界でよく言われるイノベーション(Innovation)という言葉も、もともとは新結合(New Combination)という言葉を語源としており、何か既存のもの同士を組み合わせることでイノベーションは生まれます。そのため、自分の周囲でない遠いところにあるものとの組み合わせや結合はより想像力を高めることにつながるということです。
もちろん実際に何か新しいアイデアを形にするには上手く連携の取れる人たちと協働する必要があるので、強いつながりが必要になってきます。つまり、弱いつながりと強いつながりを目的によって使い分けることが大事ということですね。
3.ストラクチュアル・ホール(Structural Holes)
3つ目のこの理論は、ネットワークのどこに位置することが一番得なのかを考察したもので、シカゴ大学のロナルド・バート教授によると、下図の矢印の部分にいる人がこのネットワークにおいて最も情報が集まりやすい場所であり、かつ情報の流れをコントロールしたりフィルタリングできるハブの役割を担っているという考えです。
この位置にいかに戦略的に身をおけるかが知りたいところですが、早稲田大学大学院経営管理研究科の入山章栄享受によると、組織と組織の間や会社内の部門と部門の間にあたる境界をいかに超えられるかが重要で、それを実現するのに必要な要素は好奇心であると指摘しています。よくある言葉で言うと、いかにフッ軽な人間になれるかが大切ということですね。
まとめ
今回は「人とのつながり」に注目して3つの理論を紹介してみましたが、実際に明日から行動に移すにはどうすれば良いのでしょうか?今の時代はLINEやFacebookで旧友とはつながっているわけですし、好奇心と勇気をもってしばらく連絡を取っていなかった知り合いに連絡してご飯にいくのも良いかもしれません。また、より弱く遠いつながりを作りたいということであれば、Yenta(https://page.yenta-app.com/jp )やLinkedIn(https://www.linkedin.com/)のようなYentaは、社会人同士を繋いでくれるアプリやサービスを利用してみるのも良いと思います。
人とのつながりというのは、本や講義で何かを意図的に学ぶのと違って何が得られるのかが会って話してみるまで分からないという面白さがあると思います。これは一見非効率にも見えますが、本当に価値のある情報や知見は本や講義で整理されていない断片的なものであることが多かったりします。あまり打算的に考えずに好奇心をもって色々な世界に飛び込むことが、仕事や生活をより豊かにしてくれる第一歩になるのではないでしょうか?
出典:「あなたの人脈はビジネスに生きているか。入山章栄に聞く弱くて強い結びつきの価値」(Business Insider)
つねなり
落ち込まない考え方。
人は誰しも、プレッシャーに潰されそうなときがあります。
そんなプレッシャーに耐えながら、日々、闘っています。
うまくいかないときは、ひどく落ち込むときも多々あるのではないでしょうか。
そんなメンタルの繰り返しって、疲れますよね・・・。
でも、ある考え方を持ち合わせたら
それ以降、プレッシャーに押し潰されることがめっきり減りました!!
それを今日はお伝えします。
その考え方の大事なキーワードが
”自分”への「自信」や「期待」です。
僕がなにかをはじめる時には
「成功する」か「失敗する」ではなく
「改善する」か「改善しない」
を基準にして考えるようにしました。
1歩目は失敗するよ。おそらく2歩目も失敗すると思う。んー3歩目もきっと失敗するよね。だって僕だもの。という考え方です。
つまり、
僕は、全く自分に期待していないんです。
自信など、持ち合わせていません。
だから「失敗して」「落ち込む」なんてことはありません。
決めていることは、
一生懸命、準備するし、挑戦する!
でも、失敗する可能性は高い!
うまくいかないのだから、とにかく失敗を糧に、
そのあと改善するスピードを上げることを大事にする。
凹んでる暇はねぇー!ってことです。
本当の意味での失敗は「改善スピードが遅い」ってことです。
成功している起業家は、思い切ってまずは行動している人が多く、
最初の50歩ぐらいは、踏み誤る前提で1歩目を踏み出している気がします。
日本の小学生や中学生、高校生は、正解を出す教育を長らく受けてきました。
そのせいで、失敗や間違いを恐れる傾向にあります。
だって落ち込みたくないから・・・
しかし、日本の教育も変化を迎えています。
正解のない問題に思考をめぐらせて挑もう。
だからまちがえてもいい。
試行錯誤しながら、トライ&エラーを繰り返して思考をめぐらせることが成長につながり、大事だと言われています。
センター試験が終わり、大学入試共通テストも、そういった思考力を問う問題傾向になりつつあります。
努力を通して、どれだけの失敗&試行錯誤があったかは、目に見えません。
自分以外、他人にその努力が伝わることは、ほとんどないでしょう。
しかし、企業は今、自分で思考できる人を欲しています。
それは言い換えると、自分に期待せず、ありとあらゆる可能性へ挑戦しては失敗してを繰り返し続けられる、粘り強い人を求めているとも言えます。
それが未来の社会で生き抜くためには必要な力といえるでしょう。
落ち込まない考え方ができれば、きっと、どんなことがあっても前へ進み、未来は明るくなるんじゃないかなと思います。
最後にまとめると
- 自分に期待をするな、でも一生懸命であれ!
- 失敗を改善するスピードを上げることが、成功への道!
- どれだけのトライ&エラーを繰り返せるかが、成長への鍵!
そのためのファーストステップとして、「落ち込まない考え方」を、まずは身につけてみてはどうでしょうか。
今日が己の頂点。
失敗はつきもの。だって人間だもの。
iamsum
ブラック校則から考える日本の教育
こんにちは。今回は日本の教育と個性について考えてみたいと思います。
最近では、都立高校でツーブロック禁止などのブラック校則が来年度から廃止されるといったニュースがありましたが、多様性や個を重視する価値観にシフトする中で、周囲の環境もそれに併せて変化させる必要性が高まってきています。
ブラック校則とは?
ブラック校則とは、一般社会から見れば明らかにおかしい校則や生徒心得、学校独自ルールなどの総称として定義されています。例えば、髪型(ツーブロックやパーマーの禁止、地毛証明の届け出)や服装(膝上スカートの禁止、登下校中のコート着用禁止、下着の色は白のみ)、さらには行動(部活動への強制入部や男女交際の禁止)への規制まで多岐に及びます。
もちろん、学校側にもこうした校則を課す理由があるわけで、これらを一方的に批判することはいけないと思います。例えば、ツーブロック禁止の理由について、東京都の教育長は、「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがあるため、生徒を守る趣旨から定めている」と回答しています。また、登下校中のコート着用禁止については、「身なりが華美になりすぎて学校が荒れる」、「貧富の差が出てしまう」といった理由があるようです。
つまり、多くのブラック校則はもともとは生徒の安全や人権を守ったり、学校の風紀を維持するという目的があったようですが、いつからかこの目的が見失われて、ただルールで決まっているからという理由で、それを遵守するようになったという背景があるのではないかと考えられます。
これは日本独特の現象で、手続き主義や前例主義の強い日本では、「正しいこと」(内容)ではなく、「正しく行う」(過程)ことに重きが置かれる傾向があります。その一方で、米国などでは、「正しいこと」(内容)がより重視されるプラクティカル(実践的)な主義が強いように感じます。
個性を奪う日本の学校教育
ブラック校則については、ただ理不尽なだけで正直我慢すれば良いと考える人も少なからずいるかもしれませんが、こうした校則が招く人材の同質化や均質化こそが本当に恐れるべきことのように感じます。
上の写真は、2019年の4月に九州産業大学4年生で、グラフィックデザインを専攻しているsayakaさんが投稿したもので、写真には、次のようなメッセージが書かれています。
- 同じ服を着せ、同じ考え方、同じ答えを求める。
- 「普通」になるために切り捨てられていく個性。
- まず第一に「静かにする」ことを教える日本の教育。
- 子供の将来のためという大人のエゴ。
- 本当に子供たちに必要なのは自らの意思で選択できる力とそれができる環境ではないだろうか。
つまり、ブラック校則を含めて日本の学校教育は、子どもたちの個性を切り捨てて同じような価値観や考え方を身に着けることを要求してしまっているということだと思います。これは、日本が世界の工場とよばれた大量生産の時代においては機能していたかもしれませんが、よりイノベーションや新しいものを生み出すことが求められている今においては時代遅れとしか言いようがありません。そして、これは日本が世界との人材競争において遅れをとってしまうことにもつながりかねません。
もちろん、日本の学校教育のすべてが悪いというわけではないです。例えば、日本の義務教育では、自分たちの教室や校舎を自分たちで掃除することが当たり前に行われていますが、米国では、それは学校に雇われた清掃員がやる仕事です。自分たちが汚したものは自分たちで綺麗にするという日本人の価値観は、サステナビリティが求められる現代においては非常に重要な考え方で、それを子供のころから実践している日本の子どもたちは世界の最前線にいるといっても過言ではないと思います。
何が大切か?
今回はブラック校則をテーマに日本の教育について考えてきましたが、大切なのは何のためのルールなのかという目的意識に他ならないと思います。普段、忙しい生活を送る私たちにとって、全ての行動に目的を見出すことをしていては、到底時間が足りませんが、定期的に立ち止まって、自分はなぜこれをしているのか、何のためにこのルールや取り組みがあるのかを再確認する時間が大切だと思います。
つねなり
ロシアのウクライナ侵攻から学ぶべきこと
みなさん、こんにちは。
今回はロシアのウクライナ侵攻について考察してみたいと思います。メディアで毎日のように報道されているウクライナの危機は、多くの日本人にとって遠い国のことのように感じるかもしれませんが、実は日本の問題に直結しています。
核を放棄することで独立を得たはずのウクライナ
本編に入る前に簡単にウクライナの歴史を見ていきます。詳細は割愛しますが、かつてソビエト連邦の一部であったウクライナには核兵器が集積されており、旧ソ連から独立する際にそれらを放棄(ロシアに移転)するという条件で、米英露がウクライナに安全保障を提供するブタペスト覚書が1994年に結ばれました。
しかし、ニュースの報道で分かるように、ウクライナの安全は大国によって守られておらず、ウクライナの人たちは必死で自分たちの国をロシアから守ろうと戦っています。つまり、どんなに他国と条約を交わしていたとしても結局は自国の安全は自分たちで守らなければいけないという時代になってしまっているということです。
日本では憲法で平和主義を掲げており、憲法9条で戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めています。では、ウクライナにこの憲法9条があったら今回のような問題は起きなかったのかというと決してそうではありません。
カエルの楽園から考える日本の安全
ウクライナのニュースを目にしたとき、最初に思い浮かんだのは「カエルの楽園」という百田尚樹の書籍でした。彼の政治的イデオロギーはさておき、この書籍の内容は、日本でウクライナと同じことが起きるかもしれないという危機感を抱かせるものでした。
簡単なあらすじを説明すると、
- 凶悪なダルマガエルの襲来により故郷の国から逃れたアマガエルのソクラテスと友人のロベルトがたどり着いたのは、岸壁の頂上にある平和で豊かなツチガエルの国ナパージュ(日本)でした。
- 新天地を見つけたと安堵するソクラテスとロベルトでしたが、そこで暮らすツチガエル(日本人)たちは、ナパージュの平和は、「三戒」(カエルを信じろ、カエルと争うな、争うための力を持つな)によって守られているという奇妙な考えに心酔しており、平和なナパージュでの暮らしの中でロベルトまでもが三戒に心酔していきます。
- 三戒を信じきれないソクラテスは、ナパージュで一番の物知りと言われるデイブレイク(朝日新聞)や毒舌な嫌われ者のハンドレッド(百田尚樹自身)、北の山に棲むワシのスチームボート(アメリカ)、ウシガエル(中国人)と戦えるほどの強さを持つがゆえに嫌われているハンニバル三兄弟(自衛隊)などに出会い、三戒の起源やナパージュ周辺の状態を知ることになります。
- そのナパージュに、南のウシガエルたちが迫ってきたにも関わらず、多くのツチガエルたちはウシガエルは友好的で無害だという主張を信じて、自分達の手でウシガエルを追い払ってナパージュを守ることを拒みます。
- 妥協案としてスチームボートに南の崖を飛んでもらうことにしたものの、スチームボートは自分がウシガエルとの戦いになった時はツチガエルたちも共に戦うよう要求します。しかし、ツチガエルにとってそれは三戒違反になるため、それを拒みました。結局、スチームボートとの約定は御破算になり遂にウシガエル達の侵攻が始まります。
私は決して戦争をすることを肯定しているわけではありません。そうではなく、自分の信じたいものだけを信じて思考停止に陥り、世の中や社会の変化に伴って刻々と迫っている危機に対応できなくなることがどれだけ恐ろしいかということを伝えたいのです。
何を信じるのか?
また、今回のウクライナの危機で恐れるべきなのは武力による侵攻だけでなく情報操作や情報統制です。例えば、ロシア当局は、徹底的な情報操作で世論を誘導し、国内からの反発を抑え込もうとしており、「プーチン大統領はウクライナのファシストからロシアを守っている」と軍派遣に賛成する人も多くいることも真実です。
さらには、日本のメディアで報道されている情報が必ずしも正しくないということも理解しなければいけません。最近はSNSの普及でより複数のソースから情報を得ることができるようになったものの、フェイクニュースなどが蔓延り、何を信じて良いかますます分からない時代に突入しています。
情報リテラシーというと平易な表現になってしまいますが、自分が見聞きするものの多くは既に誰かのフィルターを通じて加工された情報であり、それを鵜呑みに信じることは自らの身を脅かすことにもなりかねません。できるだけ複数のソースから情報を得て、それらを照らし合わせることで、できるだけ真実に近づこうとする姿勢が、これからの時代を生き抜く上でとても重要になってくると思います。
これはあくまで個人的な意見ですが、世の中には絶対に正しいものはなく、正義の反対にはもう1つの正義が存在することが多々あります。どちらの正義を信じるかはあくまで自分の価値観や軸に依存するため、いかに自分のアイデンティティ(自分は誰なのか)を確立するかが、不確実性の高い現代の唯一のコンパスな気がします。
つなねり
自由という言葉について考えてみる
こんにちは。今回は「自由」という言葉について考えてみようと思います。突然ですが、皆さんは「Freedom」と「Liberty」の違いを説明できるでしょうか?どちらも日本語では「自由」と訳すので、一見難しく感じるかもしれません。
FreedomとLibertyの違い
しかし、英語圏ではこの2つの単語には明確な意味の違いがあり、ウィズダム英和辞典(第3版)には、次のように記されています。
- Freedom:誰からも妨害されずに個人の意向に従って行動する自由(the power or right to do or say what you want without anyone stopping you)
- Liberty:拘束や幽閉などからの自由、許可や権限にとらわれない自由(freedom to live as you choose without too many limits from government or authority)
つまり、Freedomには、「当たり前に与えられて享受できる自由」というニュアンスがある一方で、Libertyには、「束縛などの抑制されている状態から掴み取った自由」というニュアンスがあるのです。
米国のニューヨークにある「自由の女神」が「Statue of Liberty」と呼ばれているのは、米国は欧米から飢饉や宗教迫害によって逃れてきた移民によって作られた人工的な国家であり、彼らは抑制されていた状態から自らの自由や権利を勝ち取ったということを考えると納得のいく名称のようにも感じます。
日本における自由の考え方
では、なぜ日本語ではこの2つの単語を同じ「自由」という言葉にまとめられているのでしょうか?日本語の「自由」は、福沢諭吉が「Freedom」を「自らをもって由となす」と訳したのが始まりだと言われています。(所説あり)
すなわち、日本語における自由とは、自分の考えや意思を行動の由(理由)とするということで、積極的な自由(主体が自らの必然に従って決定)、つまりFreedomにより意味が近いと考えられます。ここで、考えたいのは、日本人には、Libertyとしての自由、つまり何かによって制約や抑制を受けた状態からの自由という感覚が乏しいのではないかということです。
かつてから日本は、他の国や地域に比べて比較的恵まれており、(第二次世界大戦後のGHQによる間接統治を除いては)侵略や占領という歴史がない国です。だからこそ、本来あるべき自由を奪い返すというようなアグレッシブな意味での自由の感覚が少ないのではないかと感じます。
Black Lives Matterの背後にある米国人の思想
2020年、米国を中心とした海外では、BLM(Black Lives Matter)と呼ばれる人種差別抗議運動が怒りました。これは、アフリカ系アメリカ人に対する白人警察の残虐行為(ジョージ・フロイド)をきっかけとしていますが、その根本にあるのは、アフリカ系アメリカ人(黒人)や彼らを支援する人たちが、黒人が当たり前に持つべき権利(差別におびえることなく安心して暮らせる状態や、仕事や住居の選択に人種による制限がない状態)を奪い返す自由(Liberty)を巡る争いであるということです。
多くの日本人にとって、このBLMがどこか異質のように感じるのは、Libertyとしての自由の感覚があまりないからかもしれません。アイルランドの劇作家であるGeorge Bernard Shawは、このような言葉を残しています。
自由と責任
Liberty means responsibility. That is why most men dread it.”(自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。)
バーナード・ショーが言うように、自由というのは、表面だけ見れば美しい意味ですが、その自由を行使したり掴み取るには、大きな責任を伴うことを私たちは忘れてはいけないと思います。そして、その責任をもってでも、勇気をもって自由をつかみ取る貪欲な姿勢を大切にしていきたいところです。
つねなり
ドラマから学ぶビジネスマインド
こんにちは!日本の連ドラをこよなく愛すiamsumです。
マイクール、ほとんどすべての第1話を視聴します。
そこから取捨選択がはじまりますが、深夜ドラマも含めると1クール10本以上を視聴しています。ドラマから、学ぶことはいっぱいあります。
今回は、「真犯人フラグ」というドラマから、学べるビジネスマインドをご紹介します!
ドラマの犯人が誰なのか、そういう考察でもなければ、ドラマの感想でもありませんのでご容赦ください。
私が注目したいのは登場するクセの強い刑事の言動から学べるマインドがあります。その刑事は、誰かに質問をするとき、絶対にわかりやすく二択で迫ります。
「犯人が逃げたの、見た?見てない?どっち?」
ドラマの途中から彼は「二択刑事(デカ)」と呼ばれるようになっていきます。
このわかりやすく二択で問う行為。刑事であれば、犯人を追うために一刻の猶予もありません。最短で的を得た情報が欲しいので、こういう問い方をしていると思います。
ビジネスでは、最短で的を得た情報がほしいのは、各仕事の責任者や上司ですね。
ドラマでも、二択で聞かれたとき、スッと答えられない人ばかり。ここに日本人が、二択をどちらか選び、スッと答えられないという特性が出ていました。
こういう二択が答えられないシーン、仕事でもよく見たことあるなと思い、この二択の答え方に、大事なビジネスマインドが隠されていると感じました。
こんなシーンを見たことはないでしょうか。
上司「あの仕事って終わってる?」
※二択刑事なら、終わった?終わってない?どっち?とわかりやすく聞いてくれますが、そんな上司、普通はいない。
部下「(二択で答えず)ごにょごにょごにょ。」と話し出す。
上司「ん??それで終わったの?終わってないってこと?」
※上司は少し苛立ち、二択でわかりやすく問う(二択刑事登場!)
部下「いえ、終わってないわけではないんですが、全部はできてなくて、、ごにょごにょごにょ。」
※上司の時間をとり、くどくどと話を続けてしまい、上司の苛立ちは増す」
上司「んーどういうこと?会話ができない!!どっち?!」
※まず知りたいのは終わったかどうか。曖昧な返答にMAXに腹を立てさせてしまう。
なぜ、YesかNo で答えればいい二択を、人はうやむやな答え方をしてしまうのでしょうか。
それは簡単な話で、
終わってない(No)と言うことで、叱られたくないから
ですね。だから言い訳からはじまってしまうんです。みんな叱られたくないですもんね。特に日本人は自己防衛が強いのかもしれません。
もちろん部下の立場からいえば、上司に言い訳や事情があるかもしれません。しかし、それを話し出したところで「質問の回答になってない」と叱られるだけです。そうなってしまうと、上司のイライラは増すばかり。上司に怒られたくないから「終わってない」ことを隠そうとして、うやむやな返答をして叱られる。というのは本末転倒感がありますよね。上司への印象も悪くなり、いいことが1つもありません。
さぁこんな状況になったとき、どう打開するのか。簡単なことです。
終わっていないのならば、潔く「終わってません!」と言う勇気をもちましょう!そして、YesかNoを最初にはっきりと答えましょう!やっぱり人間、素直さが大事です。
素直さは才能です。そうすることで可愛げのある部下になれて上司との良い人間関係を築けます。
YesかNoで答えた後に、上司の時間が許すのであれば、進捗状況を報告して、期日までに終わるプランを話しましょう。もしも言い訳を聞いてくれない上司がいるとすれば、結果を残すしかありません。グッと堪え、むしろ結果さえ残せば「自由」という発想を持ちましょう!
そもそも、上司から進捗を聞かれた段階で、「報連相」が普段から少ないかもしれませんね。コミュニケーション不足かもしれません。二択でうやむやな回答をした経験のある人は、ぜひその点にも気をつけてみましょう。
人生は選択の連続です。
人は、1日に60,000回の選択をしていると言われています。
今まで、いろんなことを選択して生きてきたと思います。仕事をする上で、どうしたらいいかグルグル頭を巡らせて悩んだことも多いと思います。そんなときこそ、自分に二択で迫り、二択思考で、スッと決断していきましょう!
そうすることで、そもそもの仕事のスピードも上がり、上司から頼まれた仕事について問われたときも「終わってます!(Yes)」と気持ちよく答えることができるかもしれませんね。
今思うと、企業の社長の決断スピードは、ものすごい早いですよね。
二択思考のメリットをご紹介
- 決断が早くなる(決断を早くして損をすることはほとんどない。悩んでる暇はない!)
- 自己分析が出来るようになる(二択できると言うことは自分の考えをよく知っているということ)
- 本質的な選定眼が持てるようになる
- 勘がどんどん良くなる
- 驚くほどエネルギッシュになる(決断すれば心は晴れる)
- 能動的に選択をすることで、物事が前へ進む(ずっと悩んでいるだけでは前には進まない)
- 二択することで「気づく」ことがある(良くも悪くもどっちつかずな選択より学びがある)
- 自分の好みを知っているからこそ下せる一瞬の決断ができる(いざというとき、一瞬で自分の理念のもと判断できる)
ドラマ1つから、こんなことを考え、勝手に学びを得ています。ドラマから学べることや考えさせられることはいっぱいあります。
では、また!ありがとうございました。
iamsum
泊にそって
タイを縦断し、首都バンコクを経てタイランド湾へつながるチャオプラヤ川。バンコク都内を数十キロに渡って流れており、歴史ある寺院から観光地、ショッピングモール、小洒落たカフェなどが川に沿って並んでおり、連日多くの人の憩いの場となっている。
川幅数百メートルあろう広大な水面には、大きな船から小船まで数多の船が駆け巡り、川自体が、生活の居であり、交通網であり、都民の憩いの場となっている。バンコクを縦断するチャオプラヤ川には多くの橋が架けられ、その橋一つ一つの持つ特徴が、橋の架かる周辺のエリアの街の雰囲気を個性あるものへと造形する。橋と川とその周辺の街並みがバンコクのこの川の流域数十キロに渡って広がることから、時に人はこのチャオプラヤ川をバンコクのシンボルだと喩える。
私がこの川を眺めるのが好きなのは、景観だけが理由ではなく、ここがエネルギーの多く入り混じる所だから。
水上バスとも呼ばれる渡や小船の泊が川にそって多くあり、泊と泊を高速で行き来するこの船は、川辺に住む人々にとって、欠かせない交通網である。バンコクを走る高架鉄道の初乗り区間賃が40円ほどである中、小船で対岸まで渡る船賃は15円ほど。私の友人の母は隣県からこの川を降りバンコクへ行く船に乗って毎日通勤するそうで、まさに、川を駆け巡る船と川は、郊外に住む人々の、貴重な移動手段として、都心へ出勤するタイ人のエネルギーを運んでいる。
少し川を降れば、ガラス張りで夜はカラフルな光に照らされる、まさに豪華絢爛と形容されるのがふさわしい巨大なショッピングモールが堂々と立つ。その絢爛な建物の堂々たる佇まいに加え、泊からショッピングモールの入口までに展示されるライトアップや巨大な噴水設備は「ハイソ」そのものである。テーマパークのような賑やかな広大なフロアの中に再現された水上市場には食品や雑貨等が本物の市場さながらの姿で販売され、上層階には世界各国から集まる高級ブランドのショップが多く並ぶ。日々満員御礼のにぎわいを見せる。
そこから少し下流に行けば、若者がデートにと訪れるオシャれなマーケットと観覧車のある複合商業施設もあり、以前は国外からも多くの観光客が訪れた。デートにとオシャレをして、スイーツを楽しみながらいつもと違ったひとときを過ごすカップル、高級ブティックにてショッピングを楽しむ人々、そして川沿いに聳えるショッピングモールらはタイの熱心な購買意欲と豊かなエネルギーで溢れる。
そして川沿いには、かの三島由紀夫氏の小説に取り上げられた寺院を始め、多くの寺院が建ち並び、お参りに日々多くの人が訪れる。川を一望しながら凝ったケーキやドリンクを頂けるカフェも増えてきており、一眼レフやフィルムカメラを片手に景色を写真に収める若者も多くいる。この川沿いを、連なる橋を舞台に撮影されるMVもいくつもある。そこには、信心深いタイ人の方々の文化と、今のカルチャーが詰まっている。
泊にそって。このチャオプラヤ川は、タイで生きる人にとって、欠かせない存在であり、古き良き文化と今のカルチャー、熱い勢いとエネルギーがそれぞれの泊に宿っていた。
PKBKK_2563